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ジャポニスムとアール・ヌーヴォー

パリで日本美術ブーム
“ジャポニスム”が起こる

フランスが驚いた日本。日本の文化と西洋の文化が出会う。

パリで日本美術ブーム(ジャポニスム)が起こるのは、19世紀後半です。
マネ(1832〜83)は1868年の「エミール・ゾラの肖像」(オルセー美術館)の背景に浮世絵を描いています。
この肖像画にはさらに、左隅に花鳥画の金屏風がわずかに見えることから、ゾラとマネの周囲には少なからぬ日本の美術品があったことがわかります。

さらに、モネ(1840〜1926)は、1876年に「ラ・ジャポネーズ」(ボストン美術館)を描き、妻のカミーユに日本の着物を着せ、手には扇を持たせています。背後の壁にも日本の団扇が数多く貼られています。

ロートレック(1864〜1901)もまた、日本美術に大きな関心を寄せました。
彼の代表作のひとつ「ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)」(京都工芸繊維大学)は「ディヴァン・ジャポネ」という名の店のポスターです。黒の色面であらわした人物や首の部分でトリミングする大胆な構図は浮世絵の影響といわれます。

  • 背景に浮世絵を描いた

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    エドアール・マネ
    「エミール・ゾラの肖像」
    オルセー美術館 所蔵

    Photo ©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski/distributed by AMF-DNPartcom

  • 日本の団扇を多数描く

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    クロード・モネ
    「ラ・ジャポネーズ」
    ボストン美術館 所蔵

    1951 Purchase Fund 56.147 Photograph © 2019 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. c/o DNPartcom

  • 浮世絵の影響で黒の色面

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    アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
    「《ディヴァン・ジャポネ》Divan Japonais」
    京都工芸繊維大学美術工芸資料館 所蔵

19世紀末の日本ブームと
アール・ヌーヴォーの動きとは通底

このような日本ブームを決定的にしたのは、1888年から91年まで『芸術の日本』を刊行したサミュエル・ビング(1838〜1905)です。ゴッホ(1853〜90)もパリ在住時代にビングの店で浮世絵を目にした可能性が高いといわれています。ゴッホは、歌川広重(1797〜1858)の浮世絵「亀戸梅屋敷」や「大はし あたけの夕立」を写した作品を残しています。

このビングは、1895年に「アール・ヌーヴォーの店」を開くことになります。
そこでは日本美術だけでなく、ラリックやティファニーなど、いまやアール・ヌーヴォー期の代表的作家といわれる作家たちの作品も扱っており、ビングは新しい芸術観の中心的人物となっていました。
ビングは、パリにあってアール・ヌーヴォーの気運を決定づけたわけですが、その美意識の根底にあったのは、じつは日本美術に対する関心でもありました。その点で、19世紀末の日本ブームとアール・ヌーヴォーの動きとは通底するものがあると考えて良いでしょう。

西洋の画家が浮世絵を模写
  • フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ
    「歌川広重 名所江戸百景
    《亀戸梅屋舗》の模写」
    ファン・ゴッホ美術館 所蔵

    Photo AMF / DNPartcom / © bpk / Amsterdam, Van Gogh Museum / Hermann Buresch /

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    歌川広重
    「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」
    東京国立博物館 所蔵

    Image: TNM Image Archives

パリを訪問した日本人によって
アール・ヌーヴォーは日本に伝えられる

日本が憧れたフランス

1900年のパリ万博を訪れた洋画家の浅井忠(1856〜1907)はビングの店に立ち寄り、ビングが幾人もの職人を従えてみずからのデザインを製品化させている様子を見て「実に羨ましき生涯」と記しています。
この時期のパリを訪問した日本人によって、アール・ヌーヴォーは日本に伝えられることになります。

エッフェル塔を通じて
水の宮殿を眺む

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1900年パリ万国博覧会幻燈画より
京都工芸繊維大学美術工芸資料館 所蔵

アール・ヌーヴォー作品
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    ジョワジー・ル・ロワ製陶所[フランス]
    「魚藻文花瓶」
    19世紀後半
    京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 所蔵

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    作者不詳
    「蝙蝠(こうもり)文花瓶」
    19~20世紀(1902年受入)
    京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 所蔵

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    ジョルナイ工房[ハンガリー]
    「エオシン釉海藻文花瓶」
    1909年以前
    京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 所蔵

京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の初代校長となる中澤岩太(1858〜1943)も、開校準備のためのヨーロッパ視察の一環として、このパリ万博を訪れています。
そして、そこに繰り広げられる新しい美術に影響を受け、初期の教員たちに当時のヨーロッパのデザイン状況がわかる作品や製品を教材として購入させました。
ミュシャの『装飾資料集』などは京都高等工芸学校の授業で模写されたことがわかっています。
このような動きを通して、ヨーロッパのデザインが日本に導入されることになるのです。

アルフォンス・ミュシャ「ガブリエル・ムーレイ編『装飾資料集』」
  • 教材として購入した作品

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    アルフォンス・ミュシャ
    「 ガブリエル・ムーレイ編『装飾資料集』」
    1902~05年 京都工芸繊維大学美術工芸資料館 所蔵

  • 授業で模写した作品

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    ウジェーヌ・グラッセ
    「『植物とその装飾への応用』
    Pervenche(PI.62)」1896年
    京都工芸繊維大学附属図書館 所蔵

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    向井寛三郎
    「壁紙図案模写」 1909年
    京都工芸繊維大学
    美術工芸資料館 所蔵

京都工芸繊維大学 美術工芸資料館館長
並木誠士
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